2013年11月17日日曜日

はっきり目に見えるものじゃないニュアンスとか、そういうものって分かる人と分からない人の2種類の人間がいるということに改めて気付く。
分からない人って、自分の目に見えているものしかとらえられなくて、例えばシンプルな透明のグラスがあったとして、一つは手作りのもので、もう一方は百均のものであっても、特に違いは分からないということだ。百均のグラスとは明かに違う、絶妙なガラスの厚みとか持った時の手にこっくりと添うような感覚を感じとることができないことって、表現者を目指す者にしたら結構致命的なのではないか、と思った。趣味はどうあれ、「いまここにあるものではないなにか」を常に見ようとすることってとても大事だと思う。最先端とか流行とかではなく、感覚において先を見ること。でもそれが分からない人ってそういう感覚があることすら気付いてない人が多いんじゃないか。そういう人こそ、ブランドや表面的なデザインに踊らされたりするんだよね。
分かっている人が表現をして、分からない人がそれを真似して表現する。さらに、分からない人が二番煎じで満足をする。それが日本の文化面での低迷の原因でもある気もする。